田中酒造場について
昔むかし、蔵の周りで多くのお米が作られていたそうです。陽光豊かで、台風や大雨が少ない播州平野、秋の穏やかな瀬戸内海からの風と日当たりによって収穫された稲は、今でも田んぼの真中に組まれた細い丸太の馬にまたがり、穏やかに乾燥されます。思い出します、私が子供の頃に丸太に藁の紐をかけてもらってブランコにして遊んだ事を。
収穫時にもなると一時に大量の米俵が運び込まれる為、天保6年(1835年)、今と変わらぬこの地に、酒蔵を開いたそうです。酒の名は「名刀正宗」。どんな思いが込められたのでしょうか。「正宗」といえば、岡崎正宗が鍛えた名刀と辞書にあります。切れ味が鋭く、キラリと光る品の良さ、我が名刀正宗は、栄養満点のふっとい大根も、空中に舞うしなやかな紙でさえも瞬時にスパッと切れるような喉越しを堪能させてくれます。それはまるで、着流しの似合う粋な男前さんのようで、実は骨太のマッチョ?
「名刀正宗」を礎に、「白鷺の城」「亀の甲」をはじめ、未知なる米の宇宙(個性を発見)を探検し、進歩し続ける時代のお酒にも挑戦する事によって、人とのご縁が始まり絆が深まり輪が広がり華となって感動を与えてくれます。私で六代目。どれほどの蔵人達がわが人生をこの蔵の為に心血注いでくれたことか、感謝でございます。これから100年もまた、方々の人生の祭り、季節の祭りを彩りながら祝い、清め、活力となる計り知れない力をもち、欠かすことの出来ないお酒でありたいと思います。
六代目 田中流酒造り
「北流れの屋根」に寄り添う赤レンガの煙突。兵庫県姫路市広畑に、我が蔵のシンボルは大空を突き抜けるようにそびえ立ちます。そばには穏やかな夢前川が流れ、ゆったりとした、のどかな土地です。
この地に広村(現・広畑)ができ、一番最初に見つけた水源が、当蔵の井戸水だそうです。どんなに日照りが続いても「広の田中の井戸は決して枯れない」と言われ、その井戸水は今もなお脈々と湧き出ており、我が酒の中枢を担っております。毎朝、神様に感謝を込めて、「ありがとうございます」と手を合わせ祈ります。
創業1835年以来、「名刀正宗」を醸し続け、時の姫路城城主・酒井家より「花気随酒」の扁額を賜り芳醇美酒と賞賛されたと聞き及んでおります。6つの時代にわたり、歴代の杜氏が守り育ててきた蔵の味「名刀正宗」。當主は子供の頃から酒蔵に入り、遊びながら鼻を利かせ、耳で感じ肌と触れ合いキラキラと輝くような目で蔵中を駆け巡り、体一杯で酒の神様と戯れていたのでしょう。蔵の中ではエネルギーが全開だったようで、杜氏によく叱られたというお話も聞いた事があります。溢れんばかりの好奇心は今も健在、当時の様子が目に浮かびます。しかし、私たちが感じ取れないような風の流れや空気の違いを敏感に感じ取るほど、蔵中のわずかな異変をも察知し、近寄りがたく厳しく凛々しさも感じます。
當主の魂に響くものがあればとことん貫く、人が何と言おうと、半端じゃない。この魂を貫く姿勢が蔵の個性、蔵の味となって表現されているのではないでしょうか。當主のモットーは「温故創新」。「温故知新」の「知る」にとどまらず、造り手らしく「創」、新しくつくりだす事が喜びだと申します。激変する時代でありますが、日頃から多種多様な情報をキャッチし、自分なりにアレンジした引き出しを1つでも多く持つ事が新たな挑戦への鍵となっているようです。壁にぶつかる事(ピンチ)は飛躍のチャンス、それを踏み台に、考え方、頭のチャンネルを切り替え(チェンジ)、再度、挑戦(チャレンジ)する事。それも、不易流行を礎に。
我が蔵を知る方々は、次はどんなお酒が飛び出すのか、とても楽しみの御様子で、それはまるで、ドラえもんの不思議なポケットから出てくる、タケコプターやどこでもドアのようにワクワクするみたいですよ。そうなんです。皆様がウキウキ、ワクワク楽しい気分になってくれるお酒を造る事が、當主にとっての前提なのです(旨いのは当たり前ですがね)。
酒を醸すという中で、忘れてはいけないのが日本人の魂だと申します。四季の移り変わりを細やかに感じとる日本人ならではの感性と、日本だからこそ出来る麹、酵母のミラクル。日本の心の豊かさを享受し、楽しめる日本の酒、そして第一に、蔵の姿が見え、蔵人の働く様子が伺えるような酒でありたいと。
これが、六代目、田中流なのです。